連合茨城ニュース                     更新日
                    2012.9.12
 


平和行動in根室


 9月7日(金)~10日(月)、連合主催の「平和行動in根室」が開催され、連合茨城団22名は連合関東ブロック代表団として参加しました。8日(土)は北方四島交流センター(ニ・ホ・ロ)において、北方領土問題に関する知識と理解をより一層深めるためのセミナーに参加しました。9日(日)は納沙布岬において開催された「2012平和ノサップ集会」に参加しました。
 
 
  連合古賀会長挨拶
 
集会の模様 連合茨城参加者の皆さん

< 平和行動IN根室に参加して    政労連 原子力ユニオン大洗支部 M  >

 どんなに恐ろしく、悔しく、哀しかったことだろう。

 平穏な生活を突然奪われた「その日」の島民の気持ちを想うと、やりきれない気持ちになる。「その日」はたった67年前。私の両親が生まれる数年前のことだ。終戦の失意と安堵が入り混じる中で突如異国軍隊が町を占拠しはじめる…。

 北方領土問題について、本行動に参加する前の私はほぼ無知で無関心であったと言っていい。しかし研修に参加し、元島民の方の忸怩たる想いを聞き、変わり果てた故郷の写真を見つめる憧憬と悔しさの入り混じった眼差しを見たとき、「ああ、この運動は仲間の尊厳とルーツを彼らの手に取り戻すための闘いなのだ」と初めて気が付いた。

 課題は多いだろう。この60数年の年月が物語っている。しかし私たちは、私たちの北方諸島を、故郷を、私たちの手で彼らに還さなければならない。今般の参加によってそう思えるようになったことは、大きな収穫である。

故郷が彼らの手に還る「その日」が来ることを心から願うと共に、継続的な組合の活動を望みたい。





竜巻災害救援義援金 共同募金会へ寄付

  5月6日に茨城県内で発生した竜巻はつくば市を始め各地に甚大な被害をもたらしました。5月~7月の間、ホームページでもご協力を呼びかけておりましたが、被災者救援に役立てて頂こうと募集していた義援金が2,175,504円となり、連合茨城児島強会長から、茨城共同募金会の郡司勝美会長に寄付をしました。
多くの皆さまにご協力を頂きありがとうございました。
             義援金贈呈式の模様
     (左・連合茨城児島会長、右・共同募金会郡司会長)





平和行動inナガサキ

 8月7日(火)~9日(木)、連合主催の「平和行動inナガサキ」が開催され、連合茨城団28名が、7日(火)は長崎県立総合体育館で「核兵器廃絶2012平和ナガサキ大会」、8日(水)は平和公園・原爆落下中心地公園での「ピースウォーク」と原爆資料館大ホールでの「平和シンポジウムin長崎」、9日(木)には長崎市主催の「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」にそれぞれ参加し、平和とは何か、改めて考えました。


<ナガサキ平和行動に参加して     情報労連 NTT持株本部 筑波地区通研分会 中野 和紀>

「ヒロシマ・ナガサキ」、日本国民ならこの2つの都市にいつ何が起きたのかは誰しもが知っている。
しかし、それは事実を頭で知っているだけでは無いだろうか?

今回貴重にも当時の被災者の方から生の体験談を聞くことができ、原爆被害の悲惨さをよりリアルに感じることができた。衝撃、悲鳴、灼熱、放射能。一瞬にして太陽並みの高温と台風の約10倍の爆風にさらされ、人も都市もひとたまりも無かった。今では考えることのできないような、まさに地獄の風景であったに違いない。想像するだけであまりの痛ましさに胸が締め付けられる。そしてまた過去をリアルに感じるにつれて、現在でも核兵器が世界のあちこちに存在しているという事実に恐怖をおぼえる。

 決してこの活動が今回だけのものとならないよう、この出来事を身近な人間にリアルな形で伝えていくこと、そして核兵器の無い社会に向けて署名・募金などできることから取り組むこととしたい。

<2012平和行動inナガサキ              連合茨城女性委員会 茨教組  藤田晴美>

 8月7日から9日にかけて,長崎の街は平和を祈る人々であふれました。

「のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」衝撃的な少女の手記の碑の向こうにはあふれる泉の水が,さらにその向こうには平和祈念像が見通せます。67年前,一発の原子爆弾がこの長崎を破壊し,多くの人々の命を奪ったことが遠のいてしまうくらい穏やかな光景でした。

しかし,平和公園に展示されていた写真は,目を覆いたくなるようなむごいものでした。皮膚が垂れ下がった女の子,駅のホームに転がる赤ちゃんと母親,重なり合う焼け焦げた人,人,人・・・。この映像を覚えておくこと,残しておくことは今を生きる私たちの責務と感じました。

8月9日午前11時2分,平和式典の会場が,そして長崎の街が祈りに包まれ,二度と戦争を繰り返してはならない,核兵器のない世界を実現しなくてはならないと強く心に誓いました。


<平和行動inナガサキに参加して          連合茨城青年委員会 電機連合 櫻井 唯史>

8月7日から9日の3日間、平和行動inナガサキに初めて参加させて頂きました。

初日は核兵器廃絶2012平和ナガサキ大会に参加し、原爆投下から67年が経過しているにも関わらず、後遺症により多くの方々が苦しんでいること、核兵器廃絶に向け様々な活動を推進しているが未だに約1万9千発の核兵器があることなどを聞き、改めて長崎の方々にとって被爆は、今なお続いている問題なのだと痛感しました。また、大会の中で、高校生平和大使が宣言した「微力だけど無力じゃない。私たちの行動が世界を変える」という言葉がとても心に残りました。
 2日目のピースウォークでは、浦上天主堂の柱や地層、旧長崎刑務所浦上刑務支所など、原子力爆弾の威力のすさまじさを実感しました。また、その後原爆資料館を見学し、原子爆弾投下後、何とか一命をとりとめたものの放射能などの影響で親や子供がバタバタと亡くなっていく様子を記した手紙や写真を見て、胸が締め付けられる思いでした。

最後に、今回の平和行動で改めて核兵器の恐ろしさや平和について考える貴重な機会を頂けたこと、また猛暑の中、地元の方々に熱心に説明して頂いたことに心より感謝致します。

<連合2012平和運動「ナガサキ平和集会」に参加して  JP労組 日立支部常陸太田分会 大内拓弥>

 今回の長崎平和活動を参加して感じたこと、それは長崎が原爆被害を「けして忘れる事の出来ない歴史」として取り組んでいるということである。
唯一の原子力爆弾の被害を受けた国、日本。広島同様、長崎は非核化を世界にむけ唱え続ける必要がある。原爆資料館では、全てを焼失させた原爆の威力を痛切に感じた。

 もうそのような悲惨な歴史は、繰り返してはならないはずだ。しかし一方で現在、世界では約2万もの核兵器が存在しているという。長崎はその脅威、悲惨を知るものとして非核化を唱える事で核保有国を抑止していく必要がある。
昨年の東日本大震災によって原子力の安全の神話は崩れた。日本は原子力について再検討する時期にきている。そのような中で長崎は、イニシアティブをとり「核兵器のない社会」を目指すべきだ。
 実際に原爆被害を体験した人は高齢化に伴い減りつつある今、この原爆の歴史を今回平和活動に参加した私たちが、周りの人や子どもたち、さらには孫の世代まで伝えていく、それがこの活動に参加した私たちの義務といえよう。
 最後に、今回このような場に参加させていただいた、連合茨城とJP労組に感謝している。


 
核兵器廃絶2012平和ナガサキ大会の模様 ・・・どうしても水が欲しくてとうとうあぶらの浮いたまま飲みました ― ある日ある少女の手記から
 
原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の模様  参加者の皆さん

                               



平和行動inヒロシマ

8月4日(土)~6日(月)、連合主催の「平和行動inヒロシマ」が開催され、連合茨城団32名が、4日(土)は核兵器廃絶2012平和ヒロシマ大会、5日(日)は平和シンポジウムin広島と連合広島がガイドを務めるピースウォーク、6日(月)は広島市平和祈念式典に参加しました。


<ヒロシマ平和行動に参加して          連合茨城青年委員会 自治労 飯島 茂久>

 私自身,高校時代の修学旅行以来の広島訪問となりました。戦争によって平和が失われる恐ろしさ,当たり前の生活の尊さを痛感した前回の訪問とは異なり,昨年起きた福島原発事故もあり,原子力や核利用に対する警鐘も強く考えさせられました。

講演で,原爆経験者や福島からの避難者の方々の体験談を聴いて,放射線により一瞬で生活の環境を失い,健康被害に悩まされるばかりでなく,風評被害や差別などの精神的な痛みがいかに大きいか。核兵器しかり,原子力発電しかり,グローバル社会の競争において研究開発技術の向上がときに命や平和と天秤に量るような議論を耳にすることがありますが,命より優先してよいものなど決してあってはならないということを感じました。

原爆被爆者が少なくなり,人々のそうした関心が薄れていくことが危惧されていますが,今回の訪問で学び,感じたことを忘れずに出来る範囲で平和維持に協力していきたいと思います。

<2012/連合平和行動inヒロシマに参加して  連合茨城いきいきユニオン組合員 K>               

今回の広島行きに参加させて頂きましてありがとうございます。
私は広島に今まで行ったことがなく毎年8月になるとテレビで放送される原爆の特集番組を見るぐらいでしたが実際に広島に行って被爆された体験談や広島平和記念資料館の展示物を見て原爆の恐怖と核による長期に渡る人体への影響の恐ろしさを再度確認してきました。

核と言えば昨年の福島での原発事故が今問題になっておりますが茨城では東海村での臨界事故も私にとっては忘れられない事です。
事故の日は朝から5キロ圏内の関係施設にいたのですが朝早い時点で事故になる騒ぎをしており実際に事故になるまで2時間以上の時間があったにもかかわらず近隣住民への非難の呼びかけも何もなく事故になり多くの被ばく者がでました。
福島の原発でも情報が遅れ非難する人たちに混乱が起きて、何も知らされないまま被ばくしなければならない恐怖をしみじみと感じました。
日本は資源があまりない国なので原発をすべてなくすのは難しいと思いますが原子力を扱う人達は十分な安全対策と事故対策を確立してから行う事と扱うにしても限りなく少なくするよう願います。
今回32名の人達と3日間行動をしましたが問題なく無事に終了出来て良かったです。

 

 
2012平和ヒロシマ大会の模様 語り部の方から聞く被爆体験では戦争・原爆・平和について
改めて考えさせられます
原爆ドームは静かに原爆の恐ろしさ・悲劇を訴えかけます 参加者の皆さん