更新日 2011.8.17 |
平和行動inナガサキ 8月7日(日)~9日(火)、連合主催の「平和行動inナガサキ」が開催され、連合茨城団28名が、7日(日)は核兵器廃絶 2011平和ナガサキ大会、8日は連合長崎がガイドを務めるピースウォークと2011平和シンポジウムin長崎、9日は被爆66周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参加しました。 参加者のみなさん 核兵器廃絶 2011平和ナガサキ大会の様子 < 平和行動inナガサキに参加して > 連合茨城 青年委員会 上嶋康永 8月7日から9日の3日間、平和行動inナガサキに参加しました。 初日は核兵器廃絶2011平和ナガサキ大会に参加しました。会場に到着すると全国各地から平和を願う多くの方が集まっていました。核兵器を取り巻く現在の環境は世界的に削減の方向を向いており、様々な問題があり簡単にはいかないものの、一歩一歩着実に核兵器廃絶に進んでいるとの印象を受けました。大会の中で、高校生平和大使の言葉にあった『私たちは微力だが無力ではない』という言葉がまさに真実であると感じました。「私たちは、長崎・広島・沖縄をそして先の大戦を決して歴史上の出来事にせず、次代の子どもや孫たちに語り継がなければならない」使命と、「戦争の記憶を風化させない」大切さを実感しました。 構成詩「親子で綴る平和の願いⅩ」 原爆の恐ろしさを綴ったパネルの展示 連合長崎がガイドを務めるピースウォーク 被爆当時の地層から日常が一瞬で押し潰された様子が窺える 2日目のピースウォークでは、原爆投下中心碑からスタートし、今もなお残る、当時の浦上天主堂の柱や地層、平和の泉、長崎の鐘、旧浦上刑務所、平和記念像を見学しました。原爆被害を受けた66年前の8月9日、午前11時2分の原子爆弾投下時も強い日差しの差し込む中、何事もなく普通に暮らしていた人々の生活を一瞬にして奪い去った原子力爆弾の威力はすさまじいものであったと実感するとともに、一瞬にして廃墟となった浦上地区に暮らしていた人々の無念さが身にしみて感じられました。原爆投下の時間に合わせ、路面電車が止まり、道行く人の多くが立ち止まり、サイレンにあわせ黙祷を捧げている姿に、66年経過しても長崎の人たちにとって『被爆』は終わったことではなく、今なお続いていることなのだと痛感しました。 3日間を通じて猛暑の中、熱心に説明していただいた地元の方々の『長崎を最後の被爆地に』と願う強い気持ちに大変心を打たれ、平和に対する強い思いを同じ温度で感じられていなかったことが、まるで罪であるかのような感覚を覚えました。今回の平和行動に参加したことで、改めて平和について考える機会をいただけた事に感謝しています。また、平和に対する思いを世界中の人々が共感し、戦争のない日が来ることを願います。 垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威を、 平和祈念像の前で集合写真 水平に伸ばした左手は平和を、横にした足は原爆投下直後の長崎市の静けさを、 立てた足は原爆の恐怖を表し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っている。 |
平和行動inヒロシマ 8月4日(木)~6日(土)、連合主催の「平和行動inヒロシマ」が開催され、連合茨城団28名が、4日(木)は核兵器廃絶2011平和ヒロシマ大会、5日(金)は平和シンポジウムin広島と連合広島がガイドを務めるピースウォーク、6日(土)は広島市平和祈念式典に参加しました。 < 2011ヒロシマ平和行動に参加して > |